★河村新城跡へは車で行くことはできません。徒歩で登城してください。
★車両通行できる道はありますが農道のため途中で関係者以外通行禁止となります。
★通行止め箇所周辺には駐車スペースもありませんので徒歩での登城にご理解ご協力をお願いします。
★ご登城の際はゴミや吸い殻はお持ち帰りください。
※最寄りのJR御殿場線谷峨駅から河村新城跡までは約3km、所要時間は45分程度です。
河村新城跡は西丹沢山地から南流する河内川(こうちがわ)と静岡県方面から東流する鮎沢川(あゆさわがわ)が合流して酒匂川(さかわがわ)となる地点の北西側、「城山(しろやま)」と呼称される標高347mの丘陵頂上部に位置する山城(やまじろ)です。北側には河内川の支流である塩沢川(しおざわがわ)が流れ、三方を急峻な地形に囲まれており、江戸幕府が編纂した『新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)』には城郭の規模などが示された古絵図が掲載されています。
山北町では山北町史編さん事業の一環として1998年に部分的に試掘調査(調査面積は幅2m、長さ50mの100平方メートル)を行い、障子堀(しょうじぼり)の一部を発見しました。障子堀は小田原北条氏が得意とした堀の造り方です。また戦国時代の史料でも河村新城跡は小田原北条氏の支城であることを示す記載を確認することができます。
このことから河村新城跡は戦国時代、相模国、甲斐国、駿河国の境目に位置する小田原北条氏の山城であったと考えられます。
2018年12月から2021年3月まで新東名高速道路建設に伴い記録保存のための発掘調査が行われました。
発掘調査は公益財団法人かながわ考古学財団が実施し、調査成果は『かながわ考古学財団調査報告338 河村新城跡』(2023年9月発行)において報告されています。このページに掲載している調査の図面や写真は報告書からの出典です。
調査は上記図面の囲われた範囲(約25,000平方メートル)で行われました。調査後は工事が進められ、現在は調査時の様子を現地でみることはできません。町公式YouTubeチャンネルでは発掘調査担当者による解説動画を公開していますのでご覧ください。
また、城域南東側の屋敷跡や曲輪(くるわ)の存在が推定される範囲は現在は茶畑となっており、堀跡の存在が推定される個所では窪地状になっている地形も確認できます。こちらの案内動画も町公式YouTubeチャンネルで公開していますのでご覧ください。
★解説動画、案内動画についてはこちらをクリックしてください★(別ウインドウで開く)
調査区全景(北西から)
曲輪C3・C6号堀【障子堀】(北から)
C3号橋・C6号堀(東から)
C7号堀【障子堀】(北から)
C8号堀【竪堀】(北から)
C3号堀【障子堀】(北から)
C3号堀の堀障子(南から)
曲輪C4・C1号橋(東から)
C2号堀断面【箱薬研堀】(北から)
★舗装の範囲は地中の障子堀の推定範囲を示しています。
町公式YouTubeチャンネルでは河村新城跡に関する動画を公開しています。
河村城跡に関する動画も公開しておりますので併せてご覧ください。
なお、動画視聴に係る通信料は視聴者のご負担となりますのでご了承ください。
<こちらをクリックすると町公式YouTubeチャンネルのページが開きます。>(別ウインドウで開く)
見本
「御城印(ごじょういん)」はお城の名前や、ゆかりのある城主の家紋、花押などの印を押したもので、お寺や神社でいただける「御朱印」を参考に作られています。
電話:0465-75‐2717
住所:〒258-0113 神奈川県足柄上郡山北町山北1840-15
電話:0465-75-1295
住所:〒258-0113 神奈川県足柄上郡山北町山北1971ー2
電話:0465-77-2882
住所:〒258-0123 神奈川県足柄上郡山北町湯触317
山北町役場生涯学習課生涯学習スポーツ班
電話: 0465-75-3649
ファックス: 0465-75-3661
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