令和6年6月23日(日)山北町立生涯学習センターにおいて第43回山北町青少年健全育成大会を開催しました。当日は、450名を超える多くの方にご来場いただきました。
また、山北中学校の生徒が運営ボランティアとして司会・受付・会場整理などの大会運営にご協力いただき、大会がスムーズに終えることができました。
第1部は、ひばりオトナ合唱団による特別コンサートを行いました。
総勢23名のひばりオトナ合唱団が作り出す「ひばりの音」は、多くの来場者の心に響き渡り、「本物の文化を生で触れることができた」「美しい歌声に感動した」など、たくさんの感想をいただきました。
合唱の合間には、ひばり児童合唱団の創設者の皆川和子さんの姪の皆川礼子さんによるトークショーも行われ、ひばり児童合唱団の歴史について、当時の写真をご紹介いただきながらお話をしていただきました。
創設当初の団員や川村小学校で開かれた第1回発表会の写真が紹介された際は、会場から「懐かしい」という声が多数聞こえ、会場内が盛り上がっていました。
皆川礼子さん(左)
礼子さんのお話では、皆川和子さんは昭和18年に、21歳の若さで合唱団を立ち上げ、その生涯を「ひばり児童合唱団」に捧げ、戦後の日本を「明るい子どもの声」で盛り立てようと活躍されたこと、山北を基盤に強い意志を持って突き進む皆川和子さんの情熱に多くの方が賛同され、合唱団に愛情を注いでいただいたこと、常に新しい時代の風を受けながら、ひばり児童合唱団は進化し続けてきたことなどをお話いただきました。
来場者の方から「この合唱団の発祥の地が山北町であることを誇りに思う」「山北町の文化の芽生えにとっても、非常に重要な存在」と感想をいただき、ひばり児童合唱団の歴史を改めて感じていただけました。
第2部は、「少年の主張」作文コンクールの入賞者の表彰及び作文発表を行いました。
入賞名 | 氏名(ふりがな) | 学年 | 題名 |
---|---|---|---|
最優秀賞 | 片瀬 凪(かたせ なぎ) | 川村小学校6年 | 大切な命のために |
最優秀賞 | 相原 大輝(あいはら だいき) | 山北中学校2年 | 地域とつながる防災訓練 |
優秀賞 | 内田 藍(うちだ あい) | 川村小学校6年 | 夢と努力 |
優秀賞 | 飯田 愛空(いいだ あいく) | 山北中学校2年 | 放送委員会の「新たな」絆 |
特別賞 | 野越 慧(のごし あきら) | 山北高校3年 | 私自身を振り返って |
入賞された皆さん、おめでとうございます。
表彰後、最優秀賞2名と特別賞1名の作文発表を行いました。
家庭・地域・学校のあらゆる場面で青少年が感じた出来事や思いが作文として発表されました。
最優秀賞 片瀬 凪さん(川村小学校6年)
最優秀賞 相原 大輝さん(山北中学校2年)
優秀賞 内田 藍さん(川村小学校6年)
優秀賞 飯田 愛空さん(山北中学校2年)
特別賞 野越 慧さん(山北高校3年)
たくさんの来場者の前でしっかりと作文を読み上げる姿に、感動する声を多くいただきました。
また、町全体で青少年の健全な育成について考える時間となりました。
山北町では、学校・家庭・地域が一体となり次の時代を担う青少年の健全育成を推進するため、次のとおり青少年健全育成大会を開催します。
●日時
令和6年6月23日(日)午後1時00分から午後3時20分まで(開場12時30分)
●場所
山北町立生涯学習センター 多目的ホール
●内容
・第1部
公演 ひばりオトナ合唱団コンサート
~ひばりのさえずりは「やまきた」から始まりました~
出演 ひばりオトナ合唱団
※ひばり児童合唱団が創立80周年を迎えたことを記念して、ひばり児童合唱団のOGで結成された「ひばりオトナ合唱団」の特別コンサートを開催します。
・第2部
式典 令和6年度山北町「少年の主張」作文コンクール入賞者の表彰と最優秀賞・特別賞受賞者の作文発表
●その他
・申し込みは不要です。直接会場にお越しください。
・駐車場には限りがあります。公共交通機関をご利用ください。
・会場内に車いすスペースがあります。また、手話通訳を行います。
第43回山北町青少年健全育成大会
歌手の由紀さおりさんや女優の吉永小百合さんなど、多くの芸能人を生んだのが「ひばり児童合唱団」です。
その生まれた地は山北であり、合唱団の中心になったのが皆川和子(1922年生~2014年没)さんでした。
ひばり児童合唱団公式ホームページは こちら(別ウインドウで開く) をご覧ください。
1944年(昭和19年)皆川さんは本土空襲が本格化し始めたため、東京から知り合いがいる山北町へ疎開しました。
皆川さんは東京で歌を教えていたので、山北の工場で勤労動員していた少年少女たちに歌を教えることになりました。場所は廃止後から使われないまま放置されていた、山北駅機関庫です。工員たちの歌声が機関庫に響き渡り、山北の空へと広がっていきました。また、駅に汽車が入ってくるたびに乗降客たちがその歌に聴き入り、中には一緒に歌う人までいたそうです。
しかし、山北町にも米軍機がやって来て、高度を落として機銃斉射する日もあれば、繁華街が爆撃され焼き払われてしまう悲劇も起こりました。
人々の気持ちが暗く沈むような日々のなかで、もんぺ姿の皆川さんは歌声を張り上げてみんなを明るく鼓舞し続けたそうです。
皆川和子さん(80歳のとき)
県立山北実科高等女学校(現山北高等学校)の音楽を教えることになった皆川さんは、自宅で書道も教えるようになりました。
ある日、習字を習いに来ている子どもたちにも歌を教えることになり、これを「春和会」と名付け、皆川さんが生涯にわたって情熱を傾け続ける「ひばり児童合唱団」の始まりとなりました。
終戦後の1946年(昭和21年)、書道教室から始まった「春和会」も気づけば歌のお稽古の子どもたちを含めると100人近くいました。当時の山北町でピアノがあったのは学校と皆川さんの自宅だけ。娯楽が戻りつつあるといっても、日用品などの物資や食べ物は不足し、日々の生活を送ることに人々は必死なときでした。
そのような中で、子どもたちが皆川さんのピアノのまわりに集い、かわいらしい声で歌う姿は、戦後の人たちの荒んだ心を潤し、希望を感じさせたそうです。
また、町立川村小学校からも音楽の指導を頼まれて教壇に立つことになり、それを機に、さらに合唱団へ参加する子どもたちが増えていきました。
春和会の門下生の下沢節子さん・山田栄子さんが、NHKラジオ放送局の「のど自慢素人音楽会」にエントリーしたところ、優秀賞を獲得することができました。
その後、皆川さんは春和会の門下生を連れてNHK学校放送オーディションを受けるようになりました。1935年(昭和10年)から始まったNHKの学校放送は、日本全国の幼稚園や学校で情操教育の一環として聴かれ、それは子どもたちの楽しみの一つとなっていたそうです。そのラジオに山北の子どもたちが出たということが、山北町では大騒ぎになりました。
山北町の人々が皆川さんの活動を応援してくれたことから、第1回音楽発表会が川村小学校の講堂で行われました。
講堂に人々が入りきれずに外まであふれ出すほどの盛況ぶりでした。公演では78曲もが披露され、そのほとんどが童謡であり、1曲ずつ歌が歌い終わるたびに盛大な拍手が沸き起こり、子どもらしい純粋でまっすぐな歌声に思わず涙する人もいたそうです。
川村小学校で行われた第1回春和会発表会の様子
やがて、NHKの学校放送から頻繁に出演依頼が来るようになり、皆川さんは合唱団の名称を「ひばり児童合唱団」と改めます。山北の空を天高くさえずるひばりをイメージしたそうです。
当時は、NHKのラジオ放送に出演するために、山北町から東京へ行く一番列車の中で、ひばり児童合唱団の子どもたちは明るい歌声を響かせました。
生放送が終わり、お昼前に放送局を出ると、皆川さんが子どもたちにご飯をご馳走しました。まわりの人たちに美味しいものをふるまうことが大好きだった皆川さんは、「よくできたご褒美」と言って、子どもたちと一緒にアイスクリームやあんみつ、団子などの美味しい物を分け合って楽しんだそうです。
皆川さんは人と人との距離が近く、温かく寄り添って暮らしていました。自宅には常に人の出入りが多くあり、歌のお稽古がないときでも子どもたちがよく遊びに来ていたそうです。
また、ひばり児童合唱団の生徒のお母さま方を集めて食事会を開いたり、みんなでダンスをすることもありました。
さらに、皆川さんは「山北シスターズクラブ」という女性の文化活動グループを結成して、北陸大地震による募金活動や町議会の傍聴を申し込んだりもしました。女性であっても町の議会について知ることは当然の権利だと考え、質問書を議会に提出されたそうです。
皆川さんは、東京から離れた山北町にいるからと、何かをあきらめたり迷ったりすることはなく、この山北を基盤に強い意志を持って突き進み、自由な心で飛び回り続けました。それはさながら皆川さん自身が天高く飛ぶ、ひばりのようでもあったそうです。
今回の青少年健全育成大会にて、ひばりの歌声が再び山北町に響き渡ることによって、「ひばり児童合唱団」の歴史や当時の山北の子どもたちに対する皆川さんの温かな思いに触れてみてはいかがでしょうか。
皆さんのご来場をお待ちしております。
山北町役場生涯学習課生涯学習スポーツ班
電話: 0465-75-3649
ファックス: 0465-75-3661
電話番号のかけ間違いにご注意ください!