この兜は、外見が烏帽子の形をしていいるため、烏帽子形兜(えぼしなりかぶと)と呼ばれています。
戦国時代後期、武具類の大量需要に応ずるため、これまで一般的であった筋兜(すじかぶと)や星兜(ほしかぶと)から、しだいに制作の容易な頭形兜(ずなりかぶと)や烏帽子形兜などが流行するようになりました。これらは、従来の兜と比べると格段に少ない鉄板で構成されるため、軽量であり活動性にも富んでいました。
鉢(頭に被る部分)は鉄板6枚を剥ぎ合わせて形作り、その上に漆を塗って剥ぎ目を平滑にしたのち、金箔を貼っています。鉢の裏側に刻まれた銘文によると、天和元年(1681)に河村権七一吉が父勝興の追善供養(ついぜんくよう)のため、智積寺(般若院の寺号)へ奉納したことがわかります。この銘文については、江戸時代の後期、幕府により編纂された『新編相模国風土記稿』にも掲載されています。
制作期、奉納期、奉納者名などが明らかで、山北とも縁のふかい兜として貴重なものです。なお、勝興は初め豊臣秀吉方、のち徳川家康方大名となった加藤嘉明(かとうよしあき)の家臣です。(嘉明の母は河村氏出身)
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