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歴史・文化 |
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「傷にきく」名湯 中川温泉 中川温泉は丹沢山地の西部にあり、「水と緑」に囲まれた静かな温泉場です。古くから「信玄公隠し湯」として知られ、信玄が傷兵に湯あみをさせたと伝えられる名湯です。この「ふるさとの名湯」中川温泉が「どのようにしてできたのか」を調べました。 丹沢山地は2500万年前にでき、今なお隆起がつづいています
沈降する丹沢の海
割れ目に沿ってマグマが上昇 今から2000万年前になると変動の兆しがみえてきました。沈降していた海底は隆起し、大山と中川を結んだ方向に大きな割れ目ができました。この割れ目に沿ってドロドロしたマグマが上昇してきました。マグマは地表に噴出することなく地下数kmのところで冷却し、固結してしまいました。 このマグマが中川川上流の箱根屋沢や檜洞丸付近でみられる白っぽい花崗岩に似た岩石(石英閃緑岩)です。マグマはすごい熱と圧力で上昇してきたため、周囲の岩石を溶かして黒っぽく硬い岩石を造ったり、圧力によって一枚々々はがれやすい岩石を造るなど大きな変化を与えました(変成作用)。河内川から中川川上流に向かって岩肌を観察すると、徐々に変成作用が強まっている様子がよくわかります。
山への成長
この大山脈は横からの力で強く曲げられ、たくさんの割れ目などができたため侵食が早くたちまち海上から姿を消しました。現在、その面影を大磯や江の島などの海で点々と浮かぶ岩山にみることができます。 足柄山地の形成
この海に丹沢の礫が5000mも堆積しました。これが谷峨から山市場にかけて観察される足柄層群と呼ばれる地層です。足柄層群の中にはハマグリ、サザエや木の葉などたくさんの化石が含まれています。化石の種類から「海は浅く、やや入江のような環境であったろう」と、昔を想い起こすことができます。 隆起しつづける丹沢 丹沢山地は2500万年にわたる「激動の歴史」を経ながら、隆起しつづけてきました。風雨に侵食され、地下数kmで固結したマグマ(石英閃緑岩)は現在2000mに近い山頂に露出しています。もし侵食がなかったとすればヒマラヤ山脈をこえる高い山になっていたはずです。丹沢山地は今なお、かなりのスピードで隆起しているといわれています。
中川温泉の生い立ち 丹沢山地の周辺には活断層や割れ目がたくさんあるといわれるのも、丹沢が今なお隆起しつづけていることを考えれば当然ともいえます。中川温泉は、丹沢山地を造つたマグマ(石英閃緑岩)と隆起などで生じた割れ目とたいへん深い関係にあります。いいかえれば、中川温泉は「丹沢を産んだ時の地球の汗」といえます。 中川温泉の特徴について、少し詳しく調べてみましょう。 中川温泉の熱源は、石英閃緑岩
中川温泉の第1の特徴は温泉の熱源が2000万年前に割れ目に沿って上昇してきたマグマ(石英閃緑岩)の余熱であるということです。丹沢山地ができたころは、いたるところですごい勢いで高温の温泉を噴出していました。岩石の割れ目に温泉の成分がいっぱい付着している岩肌をみることによって、その当時の様子を想い起こすことができます。その後、マグマは長い年月を経て冷却しました。
狭い割れ目から噴き上げる温泉
中川温泉の第2の特徴は、温泉が狭い岩石の割れ目から噴き上げているということです。 中川温泉の地熱帯の広がりは、割れ目帯とよく一致しています。地表近くでは岩石中の割れ目もいっそう多くなり、上昇してきた温泉が上部地下水と混合し、横の亀裂に流れ込むため地温勾配が地表近くで急激に変わるものと考えられています。このように温泉によって運び出されている温泉熱エネルギーは約10km2の小範囲から供給されているという、小規模の地熱活動です。
アルカリ性の強い温泉
中川温泉の第3の特徴はアルカリ性が強く、pHが10以上にもなるということです。pHの高い原因として、温泉水とCa-沸石とが化学反応をおこし、沸石はHCO-3のH+を交換吸着してNa+や
Ca2+を溶脱します。Na+が溶離すると
Na2C03は溶解度がが大きいため、温泉中のCO32-は増大しpHが10以上にもなると考えられています。
中川温泉はアルカリ性が強いため、皮膚の表面を軟化させたり皮膚の脂肪や分泌物を洗い流すので「お肌もつるつる」、傷に効くだけでなく「美人の湯」ともいえます。
まとめ 中川温泉は2000万年前に丹沢山地の中央に貫入したマグマ(石英閃緑岩)の熱エネルギーに依存し、狭い割れ目帯から温泉が噴き上げています。その温泉活動の規模は幅500m、長さ1kmと狭く、また、温泉の熱源も10km2の小範囲から供給されているなど、温泉活動としては小規模といえます。 このような温泉活動規模から考えると、新たに源泉を開発することには既存源泉の湧出量を減少させるだけでなく、冷地下水の混入を増大させ、温泉の温度・温泉成分の低下など枯渇現象を早めることになります。 貴重な温泉資源を後世に伝えていくためには、私たちが自然に学び「自然の限界」を認識し、保護していくことが大切です。同時に、みんなが共存共栄できる条件づくりや将来のことについて話し合い、みんなで力をあわせて具体化していくことが大切ではないでしょうか。 資料提供:神奈川県足柄保健所、小田原保健所、神奈川県温泉地学研究所 |