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室生神社の流鏑馬

[2015年10月19日]

県指定 無形民俗文化財   平成7年2月14日指定

 神奈川県指定無形民俗文化財「室生神社の流鏑馬(むろうじんじゃのやぶさめ)」は毎年11月3日の室生神社の例大祭に神事として古儀に基づき行われています。

流鏑馬写真

 山北町山北の宮地に所在する室生神社に伝わるもので、起源は源頼朝の石橋山挙兵の際、平家方に味方したため領地を没収され、斬刑に処されるところであった河村義秀(かわむらよしひで)が、鎌倉で行われた流鏑馬の妙技により刑を免ぜられ、旧領に復帰できたという故事(『新編相模国風土記稿』『吾妻鑑』)によるとされています。

 故事では鎌倉で流鏑馬が行われたのは建久元年(1190年)なので、義秀が旧領に復帰した翌年から「室生神社の流鏑馬」が始まったとすれば、現在まで約800年余り続いていることになります。

 農家の人々により受け継がれていた時期もあり、かつては的の当たり矢によって翌年の稲作を占う神事としても行われました。三つの的は、一の的が早稲、二の的が中稲、三の的が晩稲のできをあらわしました。

騎射写真
 流鏑馬神事は「馬場駈け」「流鏑馬開始の式」「馬場入りの儀」「垢離取り(こりとり)の儀」「流鏑馬始式」「騎射」の順に執り行われ、拝殿前の「終了報告」をもって終了となります。
馬場がけ写真

「馬場駈け」は騎乗者がハッピ姿で裸馬に乗り、2頭で馬場を一往復します。
「流鏑馬開始の式」では騎乗者は正装に着替え騎乗し、神社拝殿前で神官によるお祓いを受けます。

馬場入り写真

「馬場入りの儀」では流鏑馬神事関係者が行列を組み、拝殿東側から神殿の裏を通って馬場入りをし、垢離取場へ向かいます。
「垢離取りの儀」は旧皆瀬川の岸辺にあたる山北町山北の字金森に所在する垢離取場で行われます。中央の御幣を右回りに3周し、馬の足と口を浄めます。その後再び神社に戻ります。

流鏑馬始式の写真

「流鏑馬始式」では一の的を鳥居前の馬場中央に社殿を向けて立て、騎乗して的を左回りに3周した後に騎射し、それと同時に前方に待機したもう1頭(先馬)が馬場尻へ走り出し、後馬が続き、二の的、三の的を騎射します。

 「騎射」は先馬の騎乗者が的に近づくと軍扇を揚げて露払いをし、続く後馬の騎乗者が3つの的を順に射ながら馬場を走り抜けます。先馬と後馬が交代して数回騎射を行い、終了となります。

 的は現在山北町中川より納められていますが、以前は神縄と交代で奉納していたと言われています。的の大きさは3尺(90センチ)四方の杉板で、高さ9尺(2.72メートル)の棒に取りつけます。的持ちは世襲制で、的はそれぞれ3家が代々担当しています。騎乗者は毎年9月始めに神社氏子総代から依頼を受けると精進、潔斎に入ります。神事の1週間前には小田原市の御幸浜で心身を浄め、以後自ら料理を作り当日を向かえます。

流鏑馬写真

 室生神社には和鞍が4背伝わっており、内3背にはそれぞれ「寛永12(1635)年」「万治3(1660)年」「寛文6(1666)年」と記されており附けたりとして県指定を受けています。なお、鞍は山北町立生涯学習センター2階の展示ホールにて展示しています。

室生神社

社伝によれば、天正8年(1580)の草創とあるが、『新編相模国風土記稿』には、室生神社は始め中川にあったものを天正8年、岸に移転し、その後地主神として祭られている天神の社(現在地)に遷宮したとあります。現在、中川には大室生神社があります。

祭神は建御名方尊(たてみなかたのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、菅原道真などのほかに、明治42年3月1日無格社27祭神を合祀しています。なお、同社には和鞍数背が保存されていますが、そのうち3背にはそれぞれ寛永12年(1635)、万治3年(1660)、寛文6年(1666)と記されており、県指定の附(つけたり)となっています。

アクセス

自動車 : 東名大井松田ICより国道246号線を御殿場方面へ7キロ

鉄 道  : JR御殿場線 山北駅下車 徒歩10分

 ※会場周辺には駐車場がありませんので、公共交通機関をご利用ください。

 ※詳しくはこちらをごらんください。

お問い合わせ

山北町役場 生涯学習課生涯学習スポーツ班

電話: 0465-75-3649 ファックス: 0465-75-3661

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