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近代

[2010年11月2日]

山北の歴史 近代【明治時代~昭和初期】

 大政奉還により江戸時代が終わりを告げ明治時代になると、世の中は大きく変わります。山北は、廃藩置県により明治4年に足柄県に、9年には神奈川県に編入されます。明治22年町村制施行と同時に、川村向原・川村岸・川村山北を併せて川村、皆瀬川と都夫良野の2ケ村が合併して共和村になります。
 さらに、明治42年には中川、世附、玄倉の3ケ村が合併して三保村に、大正12年には谷ケ、山市場、川西の3ケ村が合併して清水村になります。昭和8年町政施行により川村を山北町に改称します。
明治時代の地図

迅速測図【明治21年、大日本帝国陸地測量部】

 新しい世の中に変わり、各地域に学校がつくられるほか、明治22年の東海道線の開通で山北駅が開業すると、山北も鉄道の町として大きく変わっていきます。
明治初期の山北駅前写真

明治初期の山北駅前

 大正時代になると一層鉄道の町の様相が強くなり、山北駅前には多くの商店が軒を並べ、演芸場や呉服店、馬力屋、薬屋、医院などで大変な賑わいでした。このころの山北駅周辺は、鉄道唱歌や童謡「汽車ポッポ」などに唄われるほか、「線守稲荷」の民話、山北駅名物「鮎寿司弁当」なども生まれました。
山北駅前写真

山北駅前

大正時代の富士電力山北発電所

大正時代の富士電力山北発電所

 また、農業では明治11年に岸の高橋倉次郎がみかんの栽培を始め、大正時代にはカナダに輸出されるほど普及するほか、関東大震災の復興のために清水地区でお茶の栽培が始まります。

 昭和9年、丹那トンネルの完成により国府津~沼津間は御殿場線となってしまいます。しばらくして、日本は太平洋戦争への道を歩み、山北も空襲による被害を受けることになります。

昭和6年頃の山北駅構内

昭和6年頃の山北駅構内

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