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河村城跡(かわむらじょうあと)

[2013年9月19日]

神奈川県指定 史跡   平成8年2月13日指定

河村城とは

山北町には、河村氏の居城として中世から戦国時代にかけて脚光を浴びた河村城をはじめ、戦国時代小田原北条氏が武田氏にそなえて整備した湯ノ沢城、中川城、新城などの城郭遺構が残っています。

特に河村城は、郭(くるわ)の配置などが近世の絵図にも残っており、また最近の調査により「畝堀(うねぼり)」、「橋脚遺構」や絵図にない空堀、段切腰郭等が発掘され、城の性格や意義について注目されています。

河村城を築いたとされる河村氏は、平安時代末期に秀郷流藤原氏の一族、波多野遠義の子、秀高が現在の山北の地を領し、河村を名乗ったことに始まると考えられます。源頼朝の石橋山の合戦の際、河村秀高の子、義秀は平氏に味方したため領地を没収されていますが、鎌倉での流鏑馬の妙技により許され、本領河村郷に復帰できたと言われています。『吾妻鏡』

義秀の弟秀清は頼朝の奥州征伐に従い、戦功により岩手県に領地を得ています(奥州河村氏の祖)。建武の中興、新田氏の鎌倉攻めの時には、河村氏が波多野氏や松田氏とともに新田氏に味方して活躍します。しかしその後の南北朝時代になると、畠山国清を主将とする北朝側の足利尊氏軍と戦火を交え、正平7~8年(1352~53)には河村秀国、秀経が南朝側の新田義興らとともに籠城しますが南原の戦いに敗れてしまいます『太平記』『梅風記』

その後は関東管領上杉氏、大森氏の持城となった時期を経て、最終的には小田原北条氏の武田氏に備えた支城として重要視されましたが、豊臣秀吉の小田原攻めの際落城し、廃城になったと考えられています。

 

新城跡

小田原北条氏が武田氏に備えて築城したと考えられ、永禄12年(1569)武田信玄によって、湯ノ沢城などとともに落城、さらに天正9年(1581)には武田勝頼によって落城し、また、天正18年(1590)遠山左衛門尉景政の頃には、新城は城番制によって管理されていたことが古文書からうかがわれます。

中川城跡

中川城は、河村氏の持城であり南北朝時代新田義興をこの城から甲州へのがしたことや、戦国期には武田信玄によって落城したことが考えられることが『新編相模国風土記稿』などからうかがわれます。

湯ノ沢城跡

湯ノ沢城は、小田原北条氏の支城であり、永禄12年(1569)武田信玄によって落城したと『新編相模国風土記稿』に記載されています。

河村城跡の保存

山北町ではこの重要な河村城跡を保存、活用すべく、平成元年よりふるさと創生基金を利用して確認調査や測量調査、文献調査を実施しました。

動画見てね

河村城跡紹介動画

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平成元年から6年の歳月をかけて河村城跡の調査研究と歴史公園としての整備が行われ、平成6年5月に「河村城址歴史公園」が誕生、平成8年には県内の山城としては初めて県指定史跡となりました。

また平成15年には「河村城跡史跡整備マスタープラン(基本構想)」が策定されました。

平成15年~17年にも調査を行い、平成19年3月には堀切3、蔵郭整備部分が開園しました。

平成19・20年には河村城跡で最大規模の堀切2の調査を行い畝堀(障子堀)が見つかりました。

今後も町の貴重な文化遺産を保護・保存していくとともに、山北町のシンボルとして、町民をはじめ広く「歴史を感じ、自然を満喫できる異空間」として活用を図ることとしています。

発掘調査の様子

平成19年発掘調査(堀切2)

平成20年発掘調査(堀切2)

平成20年発掘調査(近藤郭)

発掘われた遺構・遺物

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河村城跡の遺構群

本城郭西側には馬出郭から3本の堀切で区画された西郭と北郭があり、北側へは2本の畝堀となる堀切によって分けられた小郭から茶臼郭が存在しています。平成15・16年度に実施された史跡整備発掘調査によって蔵郭から大庭郭張出にいたる郭群からは小田原北条氏時代と考えられる城郭遺構が多数検出されました。

本城郭・蔵郭間の堀切では薬研掘とその上に架かる橋脚遺構が、近藤郭周辺では竪堀や畝堀になる空堀が、また大庭郭の周囲は空堀や段切腰郭が巡らされ強固な防備体制を築いています。

他にも大庭郭では凹地郭に掘立柱建物や溝状遺構及び土坑が、蔵郭からは配石土坑群や掘立柱建物になるピット群が確認されました。出土遺物には15~16世紀の陶磁器やカワラケ類とともに炭化米等があり、南北朝時代の籠城戦だけでなく室町時代から戦国時代にかけて長く使われた城郭であることが判明しています。

用語解説

郭(くるわ)

堀や土塁などで囲まれた平坦面

河村城は急な斜面と入り組んだ谷を持つ地形に郭が配置されており、大きく3つの尾根を巧みに堀切によって郭としているのが特徴。

堀切(ほりきり)

地面を掘って切り通した水路

畝堀(うねぼり)

敵の侵入を困難にしようと堀底に畝を作ったもの。小田原城や山中城などに見られる。小田原北条氏特有の築城方法。障子堀とも言う。

お姫井戸

小郭と茶臼郭の間にあり湧水があったと考えられており、落城の際城主の姫が身を投じたという哀話が伝えられている。

「森林セラピー基地」認定!

町では、町域の約9割を占める広大な森林の新たな活用を図るため、平成22年1月に「森林セラピー基地」の認定申請をNpo法人森林セラピーソサエティーに行い、平成23年4月24日に「森林セラピー基地」に認定されました。「セラピーロード」としては、「河村城跡・洒水の滝コース」「大野山コース」「西丹沢県民の森コース」「世附の森コース」の4コースが認められました。

森林セラピー基地とは、リラックス効果が森林医学の面から専門家に実証され、さらに関連施設等の自然・社会条件が一定の水準で整備されている地域のことで、今回の認定で「森林セラピー基地」等は全国で山北町を含め44か所となり、県内では厚木市に続いて2か所目の認定となりました。

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お問い合わせ

山北町役場 生涯学習課生涯学習スポーツ班

電話: 0465-75-3649 ファックス: 0465-75-3661

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